稲見先生のこちらの記事を読んだ。当たり前のように触発されたので自分の考えを整理してみようと思った。
まずもって、僕がそう言った気持ちになることが自分でも信じられない。基本的に自分と周りにいる人が楽しく過ごせるようにというのがモチベーションで研究をしているので、組織運営とかコミュニティの将来とかを小難しく考えるのは性に合わないと思っている。それに、僕がそれを考えても、どうしても我田引水を100%避けられる自信がない。そこまで聖人君子ではない。それでも、最近色々と思うこともあり、真剣に考えてみようと思った。特に、EC研究会の20周年記念イベントの懇親会で色々な方々と話をして余計に感じていること。
Entertainは他動詞
前置きが長くなったけど、僕はエンタテインメントコンピューティングというからには、「おもしろくさせる」が根底にないとダメだと思う。これは、各研究を発表する著者もだし、研究会にも言えること。
と言うのも、混迷している研究会運営のほとんどの原因はこの「おもしろくさせる」意識の欠如だと思う。「おもしろくさせる」のではなく「楽しい」だけになっている様子がしばしば見られるし、最近は一部のシニアの「楽しめるようにすべき」的な意見を聞くこともある。そういうのは萎えてしまう。
エンタメを言い訳に使わないでほしい
発表者は「おもしろくさせる」という研究を発表してほしい。それが、entertainの本来の意味。エンタメコンテンツを扱っているだけならば、それは僕はアカデミックな研究である必要はないと思っている。「何故、おもしろいのか?」「どうしたら、おもしろくなるのか?」「おもしろいとは何か?」これらを突き詰めることにこそアカデミックとしての価値がある。
たまに見かける質疑応答で僕が悲嘆を感じるのは以下の2パターン;
- 『このコンテンツおもしろくないですか?』→
「学術的要素は?」→
『エンタメコンテンツなので、そこは目指してない』→
「でも、エンタメとしても不十分では…」→
『アカデミックなので!』 - 『このコンテンツおもしろくないですか?』→
「エンタメとしては不十分では?」→
『学術なんでこれで十分』→
「でも学術的にも…」→
『いや、エンタメなので!』
本当にエンタメコンテンツとして自信を持ってるなら、学会で発表するんじゃなくて自主制作でゲームなりアートなりで発表すれば良いと思うのだけど、そう言った評価は嫌がられる。本当に学術的な価値があるのなら、ちゃんと質疑応答でディフェンス・議論して学術的価値を高めて論文として後世に残せば良いと思うのだけど、議論を嫌がられる。何よりも、どちらのパターンでも「エンタメなので」を言い訳にして、むしろ分野の価値を自ら下げているという部分に悲しさを感じる。
自分が楽しいと思うものは出発点として正しいけど、楽しいの押し売りは受け手は楽しくない。むしろ、楽しくないと思っている人を振り向かせておもしろくさせるものこそがエンタテインメントコンピューティングの研究として必要だと思う。アカデミックな研究であるならば、そのための議論は避けられないし、その場で「発表者が楽しく発表できて終わり」ではなく、その研究成果がその後に「世の中を面白くさせる」ために必要なことを議論する場が研究会という場であって欲しいと思う。
研究会は分野を育てるための同志の集い
研究会の運営も「おもしろくさせる」ためにやる人達で集まってやりたい。当然、しんどいこともあるし、他のこともあったりするから労力はなるべく避けたい。でも、稲見先生の記事にもあるようにボランティアだからこそ、楽しくやってくれる人達で集まってやりたい。
みんなが賛同できるようなビジョンがあって、それに向けて議論をして面白いものを作る。そこで、全然ちゃんと動いてくれない人がいると周りが萎えてしまう。それなら、最初から参加するなよって思ってしまう。自分の都合が出てくるのもわかるし、私利私欲がダメとは思わない。僕も自分のために研究してるわけだし。
でも、だからこそ、コミュニティを良いものにして、強いライバルかたくさんいる状態にして、そこで負けても勝っても悔いがないような論戦をフェアな状況でした上でこそ、自分の価値が上がると思う。コネとかでなんとかするような環境じゃ、それこそ真剣勝負する気は失せちゃって、本気で相手を楽しませる気持ちになんてなれない。必ずもらえる拍手とアンコールほど寒い演出はないんだよなと思う。
エンタテインメント讃歌は人間讃歌
遊ぶために生きる、生きるために楽しむ/ Live to play, enjoy to live
山西良典/ Ryosuke “Leo” Yamanishi (2023)
そのために、世界をおもしろくする/ Entertain the world
僕は人間の本質は、これだと思っていて本当にエンタメというのは人間の知能の先にある本能に近い部分だと思っている。それを研究するってのは本当はとても崇高で、誇るべきことな気がする。
エンタテインメントコンピューティング関連の学生を含め研究者が同じ様に考えてくれて、世の中を楽しませるためのポリシーで研究会が運営できていければ良いな。それができるなら、5年後にも10年後にも「もうちょっとやろう!」「もっとおもしろいことをやろう!」って、ずっと言ってられる気がする。
written by Ryosuke “Leo” Yamanishi